あけましておめでたくありません
2006年01月12日
昨秋の事ですが、祖母が亡くなりました。
ですので、今年は喪中につき、新年のご挨拶は欠礼いたします。
松の内もとうに過ぎて、今更の感もあるのですが、
ご連絡が届かなかった方、すいません。
どうにもバタバタしていて、この通りのありさまです。
年初から、湿っぽい話題で申し訳ないです。
昨秋、実家にもどり、友人の結婚式に参加しました。
懐かしい顔ぶれに、楽しい一時を過ごし、
その翌日、入院していた祖母を見舞ったのです。
しばらく前から入院していた祖母は、その時すでに酸素吸入器がはなせない状態でした。
内蔵も弱っていたのでしょう、全身に水腫が来ています。
祖母は、意識がもうろうとして、わたしが来た事を理解できたのでしょうか?
話しかけても、返事が返ってきません。
うつろな視線が空をよぎります。
ただ、じっと手を握ることしか、わたしには出来ませんでした。
もう、かえるよ、と、声をかけて、手を離しました。
一瞬、祖母の視線が、わたしをとらえます。
それは、まるで赤ん坊が母親を捜す時のような、そんな目でした。
どんよりと湿った予感で、松本に帰ってきてその翌日、
祖母が息を引き取ったと、連絡があったのです。
それからのわたしは、ふと気がつくと、
生きる意味や、死について、考えてしまうのです。
わたしたちの生命は、限られた短いものです。
だれも、死からは逃れられません。
もちろん普段は、それを意識することもなく、
目の前の仕事をこなそうと、がむしゃらになったり、
誰かのために、夕ごはんの献立を考えたり、
宿題で困ったり、ひとを愛して切なくなったり、
すばらしい出会いに、うれしくなったりするのでしょう。
そして、たまに表層に現れてくる“死”に、
どきり、としてしまうのです。
ほんとうは、生も死も、ただの状態であって、
ことさら哀しいとか、生きているから尊いとかではないのでしょうが。
そうは言っても、やはり別れは寂しいものです。
多くのすばらしい出会いと、その出会いの数だけ別れがあるかと思うと、
なんだか切ない気分になってしまいますね。
だからこそ、出会えたその一瞬一瞬を、大切にしたいものです。
今年も、良い年であります様に。