侵略とテロリズム
2005年07月10日
先日、イギリスで、同時テロがあった。
哀しい事件である。
人は、なぜこう、愚かなことを繰り返すのだろう。
暴力の連鎖から、いったい何を生み出すつもりなのだろう。
親米ジャーナリストはきれいごとを並べる。
しかし、中東で行なわれている事は『侵略』以外の何者でもない。
油田を、石油を欲しいのだろう?
軍需産業が、もうけを欲しがっているのだろう?
放射能廃棄物を、低コストで処理したいのだろう?
こんなことは、知ろうとすれば、普通に理解できる。
結婚披露宴の会場。花嫁は幸福そうである。花婿は誇らしげだ。
人々が歓談し、音楽が奏でられている。
突然。爆弾が打ち込まれる。爆風で壁が崩れる。
がれきの中、床には、血と、脳漿のこびりついた、ブーケ。
もし、あなたの友人の結婚式で、こんなことが起こったら、
あなたは何を思うだろう?
だからといって、テロリズムが正当化されることはない。
侵略の正当性が認められないのと、同じことだ。
わたしたちは、知っている。
男性は、尖っていて、闘う性である。
女性は、丸くて、生み出す性である。
そして、その両方が在ることで生命が存続する。
わたしたちは、感じている。
この地球も、1つの生命体であり、バイブレーションを有している。
そして、現在は男性期として、ピークを目指しつつある。
(しかも、性徴期の急激な変化に、ギシギシと軋みながら)
グローバリズムは、おそらく、必然であるのだろう。
競争と淘汰により、強いものが残って行く。
(その結果としてあるものは、地球生命の概念的成長)
(地球は1つの種子)
(大気圏の厚い殻を、突き破るロケット、それは芽吹き)
(ソーラーパネルの葉は、光合成を行なって)
(やがて、宇宙に拡散する、わたしたちの胞子)
(億年のスケールで、生命体が交雑してゆく)
しかし、わたしたちは、こうも感じている。
喰うもの、業が深い。
喰われるもの、かなしみが深い。
修羅であるわたしたち。
その子も修羅。
本当は、
美しいものや、善いもの、
そんなもので育まれる子であってほしいのだけれど。
鬼子母神の再現?
わたしたちは、いつ覚醒するのだろう。
かなしいなあ。
愚かだなあ。