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なくしたもの、そしてネットへの期待

2004年06月15日

やってしまった。
こんな事は滅多にないのだが、大事にしていた書籍を誤って処分してしまった。


顛末はこうだ。本日、勉強のためLINUXの本を引っぱりだそうとした。が、見当たらない。家人に聞くと、先週の資源ゴミ回収に、新聞と一緒に出してしまったとのこと。おそらく、散らかっていた新聞の束のそばに書籍を置いていた為に、家人はそのまま一緒に出してしまったのだろう。
何よりもショックなのは、それと一緒に処分されたのが、『HOT BIKE JAPAN 2000年記念号』であった事である。先日、ブックオフで発見し、購入したばかりのものである。まだ全部読んでいないのに。楽しみにしていたのに。わたしのような、バイク馬鹿にとっては大ショックなのである。

たかだか書籍であるが、失うことへの喪失感は大きい。なくなってしまったものは、普通は戻ってこない。それは、書籍という枠を超え、ネット上のお互いの関係にも言えるのではないか。

例えば、ネットで知り合った誰かと、些細な事で疎遠になってしまう。それっきりである。何年か経って、もう一度メールを送ってみても、エラーが返ってくるばかりである。空しい。ネットにおいて、永遠の関係は無いのかと、寂しくなってしまう。

それでも、わたしはネットに期待している。こうやって、なくしてしまった書籍の記事を書けば、誰かが読んでくれる。アーカイブとして残しておけば、誰かがアクセスしてくれる。何かを失うことへの、共感を得られる。データとして残しておけば、何年、あるいは何十年経ったとしても、わたしの喪失感を誰かにつたえることができる。そしてもしかしたら、この記事を読んだ誰かが、この書籍を譲ってくれるかもしれない。

だからこそ、わたしは、このように記事を書いているのだ。昔の知り合いや、友達に向かって書くように。そしてあなたに届くように。ネットは、企業がPRをするだけのモノではない。ましてや、誰かを管理する為のツールではない。個人どうしが連携できる、様々な可能性を秘めている。なくしたものの話を書いて、それで何かが生まれてくれば、大成功である。それがネットの可能性ではないか。

こうやって、わたしは、今日もPingを送っている。
あなたに届きますように。

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